その十一 雨請い
天長元年(824)のこと、長い日照りが続きました。この年は、春から雨が少なかったのですが、梅雨に入っても少しも雨が降りません。池や沼は干上がってひび割れし、魚や貝の死骸が散らばっていました。田植えも出来ず、食糧も底をついた人々は、京の都へとあてもなく集まってきました。
朝廷もことの重大さに気付き、偉いお坊さんを選んで雨請いをさせることになりました。まず、西寺(さいじ)の守敏(しゅびん)というお坊さんに命じて、七日間の雨請いの祈祷(きとう)をさせましたが一向に雨は降りません。業をにやした朝廷は、東寺(とうじ)におられたお大師さまに雨請いを命令しました。
お大師さまは、神泉苑(しんせんえん)というところに壇を設けて雨を降らす竜王に祈りました。三日三晩一心に祈られましたが一滴の雨も降りません。不思議に思って、お大師さまは神通眼(じんつうげん)をもって日本の上空の竜王を捜されました。するとどうでしょう。西寺の守敏は、朝廷の命令が自分からお大師さまに替わったのをねたんで、一生懸命雨が降らないようにすべての日本の竜王を追っ払ってしまっているではありませんか。
そこでお大師さまは、天竺(インド)の上空におられた「善女竜王」(ぜんにょりゅうおう)に日本に雨を降らすようにお願いされました。お大師さまがお祈りを始めてから七日目。雲一つない空に、突然雷鳴がとどろき、にわかにあたりは暗くなり、大粒の雨が降り出したではありませんか。ずぶぬれになりながら、お大師さまは祈りつづけました。
「善女竜王さま、ありがとうございます。これで日本の人々も救われます。ありがとうございました。」
この熱い祈りに感ずることがあったのか、神泉苑でお祈りする人々の前に「善女竜王」が突然現れました。天皇をはじめとする人々は平伏して、その慈悲に感謝しました。
このとき現れた「善女竜王」の姿を写し取った掛け軸が今も高野山に伝わり国宝となっています。
写真 神泉苑